宮沢賢治 月夜のでんしんばしら

古本屋で、別冊太陽「絵本」の雑誌を発見しました。
その本の中に、宮沢賢治の絵を見つけました。初めて見た、宮沢賢治の描いた絵に固まってしまいました。
絵も、文章も素敵だったので、書きます。
文章は、司修さん(画家)です。

詩人宮沢賢治の絵は、詩そのものだ。
絵画は詩であり音楽であるから、詩人が筆記具を持って、点を打てば、星になり、宇宙になってしまう。
点と点と線と線がまっすぐになったり、ギザギザになったりすると、眼には見えない「心」が描かれ、「心」が動き始めると、見えてくるのは、詩人の描いた透明な水晶板に写る鑑賞者の姿だ。

嬉しい顔
寂しい顔
苦しい顔
空な顔
人間の顔
人間喪失の顔

それらは、鏡に写しだされた「心」の芯。
「芯」が写しだされるのに必要な画面は、透明な水晶の鏡だけど、透明な水晶板の裏に塗られる、色ンな顔の表情は、
いったい何で出来ていると思いますか?

土です、泥です、汗です、涙です。
これ等の色さえあれば、どんな「心の芯」だって描いてしまう。

賢治は一枚も絵を描いていない。詩を書いた。
したがって、私たちの眼に見える色彩やかたちも、「見た」「見える」と感じた時には、賢治の鏡に写った自分を見ていることになる。
~~~略~~

「月夜のでんしんばしら」の、磔刑図のような苦悶と孤独をうちに秘めた画像が、日輪に赤く染まる山頂の、希望と恐れとが、
かつて描かれたであろうか。

絵は上手下手ではない。
絵の味わいではない。
絵を描く者の個性でもない。
心の奥の奥の芯。少年院の庭の賢治の設計図は、涙が主題である。