倉本聰 「恩送り」日本の食への警告

新年あけましておめでとうございます。

 

昨年、ほぼ1年間仕事ができませんでした。

日々、病気を自然治癒するため試行錯誤しながら、自分の精神、体と向き合い努力してきました。

椅子に座る苦痛、食後の腸の痛みから解放されつつあります。

子宮が腫れているので、腸の流れを邪魔してS字結腸に食べたものが溜まり、食べること苦痛。

昨年の9月には、腸が完全に止まってしまいました。初めてこんな苦しみを経験しました。

そこから治療法をすべて考え直し、実行して、3か月でかなり回復し普通の暮らしができるようになりました。

(癌が完治したら、詳しく書いていこうと思っています)

 

今では、2時間くらいは、仕事場で土をさわれます。

創作する喜び、社会と人と繋がる喜び、自然の風景までが見方が変わりました。

人は、食べて、生きています。

食事には、私なりに食材を選択し、工夫しています。

スーパーマーケット、ほとんど安全に購入できる商品はなくなりました。

安かろう、悪かろうに時代です。

 

今日は、倉本聰さんの「恩送り」に感動したので全文載せます。

 

「恩送り」

富良野に移って間もない頃。

近所の農家さんに頂いた南瓜(かぼちゃ)があまりに美味しかったものだから、

電話をかけてお礼を言った。

こんなうまい南瓜は久しぶりに食べました。

と。

するとその農家のじっちゃんが、

そんなこと言われたの何年ぶりだろうと、つぶやき、それから突然涙声になって、、、。

ありがとう、、、、ありがとう、、、と逆に言われた。

ショックだった。

戦中戦後のあの飢えの時代、食とは腹の問題だった。

背中と腹がくっつきそうになるのを、何とか埋めてくれる胃袋の問題だった。

だが、今、、、。

食は胃袋から舌の問題に移り「美味い」と感謝される対象は、板前や料理屋の店主に変わって、、、、。

そもそもの食料生産者は、感謝の対象から外されてる気がする。

食うことによって 我々は生きている

その食料は自然が作る。

自然と農民の労力が作る。

ITも金融も食料は作れない。

にも関わらず

人はその恩恵を忘れている。

「恩送り」という言葉がある

「恩返し」ではなく、、、、恩送りである

恩返しは当座の謝礼だが、恩送りは 未来永劫に対し その恩を返していく行為をいう。

だから江戸期の知の虚人 安藤昌益は、自然の循環の中で万人が自ら農耕に携わることを厳しく唱えた。

政治家、 実業家、、 科学者を目指すものはいても、、。

3K(きつい 汚い 危険)と言われる。

農業後継者が、どんどん減っているという悲しい現実。

この国の人々は「恩送り」という

そもそもの命の継続のルールを何処かに、置き忘れてきたように思われる。